人粉
めっちゃお腹痛くてちょっとゲボ吐いたのでバイト休んだ。
わりと夜になったら平気だった。カジュアルな服痛だった。すみませんでした。
これは流行りの胃腸炎なのでは、ノロウィルスなのでは、と思ったがそうではなかった。カップラーメンに入れてみた魚粉パウダーがゲキ不味だったのだがそれのせいかもしれない。
ラーメンが美味しくなるって言ったから入れたのに僕のプレシャスなラ王味噌はまずい魚粉の味になった。そもそも味噌に魚粉は合わない。
魚粉ってなんたよ。人も粉になるのだろうか。
そういえば父の車に乗ったら骨壷くらいの箱があるなぁと思ったら本当に骨壷だった。あんまり会わなかったほうのおばあちゃんだった。ギョッとした。
どうやらペンダント作って残りは地元長崎の海に撒くらしい。(人知れず僕は被爆者三世なのだ。この話はこんどする。)
死んだ後の事は割とどうでもいい。山に捨てても良いし、犬に食われてもまぁいい。
お葬式もどうでもいい。遺影に唾吐かれても別にいい。ただその分死ぬ直前までは愛想笑いしていて欲しい。
悪口は死んでから言ってくれ。
注意する時は10個いいとこ言ってから1注意してくれ。
陰口は分からないように言ってくれ。
ゲボ吐いた後この漫画を読んだ。面白かった。
作者、めっちゃ、生き辛そうだなって思った
あと恋のツキの2巻もよかった
ここで終わればいいのにって思った。
あと僕たちがやりました。の新刊も良かった。
これもここで終わって欲しいと思った。
惡の華も神社で焼身自殺しようとするとこで終わればいいのにって思った。
連載漫画といふものは盛り上がって終わるということを許されないのだろう。変な芸術だ。
音楽で言えば落ちサビしてラスサビして一音転調してまだ盛り上げろと言われるようなもんだ。音楽で言うべきじゃなかった。
全く難儀なコンテンツである。
変な話をする。
男女はセックスをすることがある。僕もした事がある。
こう、セックスをするというのはまぁ、こう、羞恥の極致であって、もうこれ以上失うものなどないわと言った感じがする。する?僕はそう思う。
人と生活上で、たとえばオナラとか着替えとかいびきとか匂いとかそう言った羞恥案件に関して僕はめっちゃ気を使う気質で、それは男女関係なく感じてしまう。
そこで一度セックスをするとそう言った羞恥が全部無くなる。全部ではないけどまあ大体越える。そう言った経験が何度かある。
僕だって出来るだけ人といる時緊張なんかしたくないし人と居られるようになりたいとは思う。しかし男性とはセックス出来ない訳である。その点で男性といると羞恥が無くならないというか薄い壁があるというか。人間らしく在ろうと思ってしまう。いや、もちろん女性にはもっと壁を感じるけど。
男性といる時なんのためらいもなくオナラされても別に不快感はないのだ。自分でしたくないだけなのだ。同様の理由で銭湯とかもあんまり好きじゃない。
あ、一人なら銭湯行ける。
やっぱこう友達の前では人間人間して居たいのだと思う。
いや、これは悲観でも批判でもなくて自己分析。
セックスをした事ある人もした事ない人も男性も女性も皆さん好きです。本当です。
なんか変な感じになった。
変な話をすると言ったからまぁ許して欲しい。
これはただの変な話なのだ。
雲丹
私は映画館でチケットを売るバイトをしているのだけど、近々チケット販売が自動券売機になるかもしれないらしい。
僕もチケットは自動券売機の方が楽だし食券好きだし人の心がだの云々言ったりはしない。し、まぁ自動券売機になっても人の手は必要だろうしシフトが減ることはあってもまるっきりなくなるわけではないだろうなとは思う。
ただまぁなんというか寂しい気持ちはあるますね。
チャーリーとチョコレート工場の主人公のお父さんは歯磨き粉のキャップを締める仕事をしているのだけど自動化に伴い職を失ってしまうのよね。
最後どうなるんだっけ、キャップを締める機械を作る人になるんだっけ。見る人になるんだっけ。
東京マグニチュード8.0というアニメを一気見した。スカイツリーは立ってるけどみんなガラケーだ。何年だろう
キツいアニメだった。
中1のお姉ちゃんと小3の弟が二人でお台場のロボット展を見にお台場に行く。そこで大地震が発生して支えてくれる人の手を借りながら家を目指すってはなしなんだけど
弟が見たがっていたレインボーブリッジが、おうちから見える東京タワーを心の支えにしてたのにそれがガンガン壊れてって絶望って感じが見ててキツかった。
一応僕は福島市民として震災を経験した身で色々思い出すことがないでもないけど。
それにしても僕は東日本大震災、ワクワクしてた記憶しかないなぁ。辛かったのかもしれないけど心の表面はワクワクがメインだった。
不謹慎極まりない。僕も知り合いも怪我をしてないからこんなこと言えるのだけど、そのワクワクすらもストレスに対する反応だったのかもしれないけど。
学校で心理を学ぶ過程でストレス反応とかやるけど、まだまだ何も分からないけど、どんどん自分の感情に客観的になっていく気がする。
いやはや、詩人として此は如何にである。
話が行ったり来たりした。
長い文章書くのがほんとうに苦手だなぁ。
ほんとウニウニ
藤本はタワーディフェンスゲームが得意だ。
タワーディフェンスゲームとは大体敵が攻めてくる道中に砲台やら罠やらを置いて拠点を守るという物である。
得意であるが故 大好きである。
(こんなかんじの)
TDのコツとしては、ルートを変更出来るなら敵を一箇所に集めて殺す
拠点近くではなく敵の道の序盤に砲台を置くといった物だ。
一つ目はその方が効率がいいから、二つ目はみんな死んで少数しか通らないゴール付近よりより多くの敵が通る序盤に罠を仕掛けるのだ。
つまり何が言いたいって別に何も言いたくはない。ただ僕から皆さんへのタワーディフェンスゲームの指南だ。
なんだか日常生活でも活きそうだろう?
でもこれが活きないのだ。
問題から答えを導くのは易いが、その逆はそうではないのだ。
怪奇 幽霊山椒
これは今日経験した少し不思議でオカルトな話である。
皆さんも奥歯になにかしらの粒が挟まって居てそれが不意に取れ舌の上に登ってくることがあるだろう。そしてそれを噛み潰すことも多いだろう。大抵それは胡麻であったりコショウの粒であったりマスタードだったりするのだ。それに関して
「ああこのマスタードの粒はさっき昼食べたホットドッグのであろう。一度の歯ブラシの猛攻をくぐり抜けよくぞ生き残った」
と敬意を表し噛み潰すのである。
自分の歯磨きの甘さは恥ずかしいところであるが一昨日のラーメン屋でかけた時のコショウが出てきたりすると感動すら憶えるところである。
先ほど学校の二限の時間中その現象が起きた。
舌の上で転がし形状からは見当がつかなかったため噛み潰した。するとそれは山椒だったのである。
今朝の朝ごはんはトースト、昨晩のご飯はギョーザと、到底山椒など私の口に入り込む機会などなかったのだ。
どちらかといえば私は山椒が嫌いでウナギにもかけない。我が家は山椒を日常から調味料として使うような高貴な家ではない。(山椒を日常的に使うのは金持ちだけだと思っている)
そして気づけば口には山椒の風味だけが残り、噛み潰された粒が見当たらないのである。
彼を幽霊山椒と呼ぼう
人の幽霊が居るなら犬の幽霊もいるだろうし、山椒の幽霊だっているだろう。
不思議な事があるものだ。
恋was lie
今日は授業に出た後玉置浩二のライブを観に行った。今は見た直後である。良かった。
玉置浩二デカかった。身長もだしガタイが良かった。
青田典子探したけどいなかった。
一番感動したのは最後メンバー紹介をする時。
玉置浩二含め七人編成のバンドだったのだが、曲のアウトロでメンバー紹介があり、キーボード、チェロ、ギターと一人ずつお辞儀をしてったのだけど一人が演奏を止めても曲として成立していた感じがした。まるでオケを流して当て弾きしてるんじゃないかって感じで「欠けた感じ」がしなかった。役割を分けるだけでなくああやってカバーし合って行くのもまたバンドなのだなぁとおもって感動した。パーカッションが居なくなっても全然寂しくなかった。驚いた。
最近絵を練習している。前ブログに書いた。暇の質を高めたいのだ。紙とペンだけで無限に遊べる。素敵じゃないか。
決して上手くは無いがすこし思い通りにかけるようになってきて楽しい。
金曜日だからサーティワン食べた。アイアムSOFT BANKユーザー。
トゥインクルツリーってピスタチオ味のやつ食べた。美味しかった。無料で申し訳ない。追加でお金払ってダブルとかに出来ないかと聞いたけど有無を言わせずシングルコーンだった。
吉野家ではサラダをつけたりしてたけどサーティワンだとそう行かない。仕方ないくれると言うのならもらっておこう。
あっ
ヨバイビデオ新曲上げたんだった。聴いてね。
【MV】 was lie / yobai video
【MV】was lie / yobai video - YouTube
一目惚れの曲です。
僕はスローモーションみたいな歌が好きで。
物語のように駆け抜けて行く曲も素敵なんだけと。一瞬の経験をグワーンと引き伸ばしたみたいな。スローモーションになって服の皺や髪のなびき、些細な瞳の動きなんかが観察できてしまうような曲が好きだ。
僕はあんまりそう言うことはしなかったんだけどしてみようと思ってやったのがこの曲です。
ハロウィンの渋谷でつまらなそうに私服(もしくは制服?)で歩く女の子に一目惚れしてしまうみたいなそんな経験。いいよね。
皆さん同じ形の素敵を、誰かに教えてもらった素敵誰かに教えたい素敵を追い求めてらっしゃいますけど、僕はもっと素敵な素敵を知ってしまいましたよ。シェアなんてしないし教えてよあげませんよーって。
was lie、恋was lie
は「恋患い」で
「恋は/嘘だった」って悲観的にも取れるし
「恋は嘘/だった」ってウルトラ希望的にも取れるし。
そんな感じで。
一目惚れは英語で「love at first sight」
そうですファーストサイトです。
yobai videoのファーストアルバム
「first sight」
よろしくねサンクラでも無料でDLできるよ
sound cloud
http://soundcloud.com/makifujiphone/
特設サイト
http://fujiphone575.wixsite.com/fujiphone/yoba
辞今日の句
寝るというのは今日という日を終わらせる行為であって、それはある種小さな死なのではと思う。
毎日毎日その1日に未練があって寝られない。何がやりたいとか明確に思いつくわけではないけど、何となく未練がある。今日を終わりにできない。
人と会った後とかぐっすり眠れるのは今日という日を完遂した実感を感じるから何だと思う。
多分死ぬときはもっと未練があるんだろう。
死にたくないなぁ。
でも早く寝たいなぁ
辞世の句ならぬ「辞今日の句」でも詠むべきか。
暇.jpg
最近バイト先がまぁまぁ暇だ。バイトと言うのも僕は地方の映画館でバイトをしている。見つかったら怒られてしまうかもしれないがまぁまぁ暇だ。俗に言う閑散期だ。 実は業界としては9月くらいから閑散期のはずなのだがあいつのおかげでここまでお客さんがひっきりなしだったのだ。そう「君の名は。」のおかげで。
ここまで大変だった「君の名は。」初めは学生が観に来るだけだったのだが最近では噂を聞きつけてかご老人がよく観に来る。ありがたい。僕も老若男女誰が見ても面白い作品だと思う。ただ一つ大変なのが勘違い。
現在うちの劇場では「君の名は。」と「聲の形」と「四月は君の嘘」が上映している。これがごっちゃになるのだ。四月は…は実写だけど全て学生モノでアニメだしまあ仕方ないと思う。返品が多い「君の名は。観に来たんですけど聲の形でした!」とか。まぁこれはいい、下手したら君の名は。を見にきて聲の形を見て気づかず帰ってる人もいるかもしれない。クラスで流行りの君の名は。を観に行ったのにみんなと感想が違う。耳が聞こえない少女が田舎に住んでて天才バイオリニストかもしれない。ごっちゃだ。それも面白いかもしれない。
まぁそれはいい。ひどいのご年配の方のシャッフルだ。「君の聲」「聲の名は。」「四月は君の聲」等結構来る。心配である。
こないだは「蟹(カニ)の名は。」を観に来た人がいた。アカデミックな映画なんだと思う。
余談だけど映画館でチケット買う時「なんだっけ?」って言う人が結構いる。五人に一人くらいは言う。何なんだろ。自分が見に来た映画のタイトル忘れることってあるのかな。共感し得ないけどこれだけ多いって事はあんまり意識してないのかな。イタリアン食べに来た時何食べ来たっけって言うかな。言わないよなーー
あと席を決める時「めっちゃ空いてるじゃん!」っていう人。
席が空いてて嬉しい気持ちはわかるんだけど、店員の前で言う事じゃなく無い?とは思う。人の少ないコンビニに入って「うわ!めっちゃ客いねーじゃん!」とか言うのヤクザでしか無い。
ヤクザかよ!!
そういった気遣いできない人は目に虫が入ってしまえ。
まぁお客さん入っても入らなくても僕の時給は変わらないけど。
こういうの絵付きでツイートしたらバズったりするのかしら。
僕は絵が描けない。描けないけど絵かきしりとりでみなの爆笑をさらえるほど面白く絵が描けない訳では無い。
昔は絵かきしりとりで少しは笑ってもらおうと少し下手に書いたりもしてたがもう諦めた。
作られた天然芸は罪悪感が残る。
僕はしりとりは絶対しない事にしている。しりとりしない縛りで生きている。今の所困った事は無い。し、しりとりはつまらないのでそれでいいと思う。
絵が描けたらいいなぁ。ヒマな時間紙とペンです無限に楽しめる。久米田康治の「かくしごと」を読んでそう思った。暇の質が違う。絵が描けたい
蕎麦とアレルギー
映画聲の形を見た。面白かった。少し泣いた。感想は書かない。
歳をとると涙腺が弱くなるとはよく言うけど本当にそうなってきた。昔は何を読んでも何を見ても泣く事はなかった。私が弱くなったのではない昔の涙腺が強かったのだ。しかし最近わりとすぐ涙がでる。シンゴジラでも少し泣いた「ゴジラ効いてる!まだ日本やっていける!」って思って少し涙出た。ああでも、映画以外ではあんまり泣かないなぁ。
「歳をとる→涙腺が緩くなる」に関して、感受性が豊かになってるのだろうかとか思うけど、なんだったら昔の方が色々感じてた気がする。
人の痛みが分かるようになったのだろうか。いや別に痛みに同情して泣いてるとかではない。感激して泣いてる。
まぁ歳をとると色々緩くなるんだろう。心も身体も。
寒くなってきたけど蕎麦が食べたい。そば屋さんってものが近くにあまりない。東北の文化じゃないのかも。そんな事はない?
小学校の頃学校総ぐるみでソバを育てていた。畑で。他の学校のみんなが芋掘りしてる時僕らはソバを刈って蕎麦の実(実?)をぷちぷちしていた。
今覚えば僕の学校にソバアレルギーの人はいなかったのだろうか、田舎育ちにはソバアレルギーなんて無縁なのだろうか。恥ずかしい。ソバアレルギーでないことが恥ずかしい。
じきにソバを食べてるだけで馬鹿にされる時代が来るかもしれない。田舎の育ちだと。
いや、でも、ソバ食べたい。