アニメ見てないけどガルパン4DXみた

水戸にて4時間くらい空きの時間が出てしまって一度体験してみたいと思ってた4DXの映画を見ようと思い映画館に来たのですが
スターウォーズマッドマックスもみちゃったしガールズアンドパンツァーを観ることにしました。

まず、僕アニメ見てない、戦車興味無い、大洗に愛着無い、けどガルパンの同人誌で抜いたことある
くらいなものだったのですが
結論から言ってメチャクチャ面白かったです。

ストーリーも無理があるところはあれどキャラに思い入れが無い僕でも彼女らの学校への思いや友情が伝わってくるしこの2時間で彼女らのかっこいい部分コミカルな部分可愛い部分が満遍なく盛りだくさんでただの美少女アニメとしてでも超いいバランスで組み込まれていたのですが、
なによりも戦車でのバトルシーンが本当にかっこいい。
戦車の軌道も種類も戦車戦のノウハウも知らないけれど(知ってたら無茶苦茶なのかもしれないけど)ラストの台詞がほぼ無い決着のシーンなんてアクションとして素晴らしいものだったし手に汗握るとはこの事だなと。


次に4DXである事についてなんですけど、
4DXによって没入感が増すとかそういう事は無い。
むしろ実際の振動や水しぶきとのギャップを感じて一歩引いてしまうところもあるのですが

人間の感動って、(この感動はわかりやすく泣くだとかそういう事以外にも感情が動くこと)ストーリー同行以上に人間の五感に強い刺激を与える事でより大きくなるものだと思っていて
例えば音楽も大きい音で聞いたほうがかっこいいし、もっと言うならライブで派手な音響と派手な照明、派手に動く演者を観る事でコンテンツとしての音楽のポテンシャルを最大限(もしくはそれ以上)に引き出す事ができるように
映画も小さいスマホよりテレビ、テレビより映画館にって拡張して行った先が今回の4DXに繋がるのかなと思いました。

また音楽のライブの話になってしまうのですが動かなければ他人事として過ぎていく時間が周りの人に巻き込まれてでも周りの人の同調圧力でも他動的な原因であれ自分が身体を動かすという事は過冷却水に刺激を与えると一気に凍り出すようにその日のショーがより強い思い出になったり忘れられないくらい楽しいものになったりするという事はあるのでは無いかとおもいます。

要するにエンターテイメントにおいて、より派手により大袈裟に何かをやるという事はその動作の意味以上に効果があるしズルいけどやっぱ強いね
って事です。

ガルパンから逸れてしまいましたが、
アニメ見てない戦車興味無い大洗に愛着無い僕が見ても本当に面白い映画だったので是非見て下さい。
気が散るとか想像力を欠き脳を退化させるだとか色々おっしゃられますが4DXは一度体験してみたほうがいいと思います。



ありがとうハイハット

首が痛い、正確に言うと喉とリンパが痛い。
リンパは老廃物を流す管だと聞いた気がするのだけどリンパ張るってことはいま首には老廃物が流れ老廃物によってせき止められた老廃物が詰まってるのだろうか。恐ろしい
そもそも首より上に老廃物なんてあるのだろうか、体に老廃物が入り込むとしたら口や鼻だろうけどそれは食道なり気管なりで取り込まれるわけだから一旦老廃物を首より上に持って行ってるわけだ。脳か?脳の老廃物が流れてるんだろうか。

ここまで調べないで書いた。
ここから下は調べてからかく
てか今日のグーグル怖い
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リンパは全身を巡ってるらしくどこかに集約されるわけではないらしい。あと腫れるのは詰まってるからではなく炎症のようなものらしい。
だから何って話だけど

左を向くと痛い、左に立たれると話しづらい。右に立つ人には優しくしよう。
そういえば右耳の情報は左脳に左耳の情報は右脳に、だから左脳で処理してほしいハイハットは右から聞こえるようにミックスする。とかどっかの音楽家が言ってたけどそれもほんまかいな案件だな。
(ハイハットってこれね)
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でも世の中の曲、ハイハットを左に配置してある事が多いけど、ハイハットを左側から聴くのはドラマーの目線であって客側からみればハイハットは右に見えるわけだよね。そもそもドラムを左右感じるほど近くで聞かないけど。ふしぎだね。

世の中の音楽が楽しいのはハイハットのおかげだよハイハットの功績が8割だよ。ありがとうハイハット

部屋

はてなブログ始めた。
本来ならブログを始めた経緯とか始めようと思ったきっかけについて語るべき、挨拶をするべきなのかもしれないけど僕はいま書きたいことがあってはてなブログを始めたのでそんなまどろっこしいことは後である。
別にだからと言って大それた事を書くわけではないのだけど…

僕は先々月まで一人暮らしをしていたのだけどいまは実家で暮らしているわけなのだけどなんというか腕をもがれた感覚がするのは交通の便や時間的な自由など色々あるのかもしれないけど、自分の部屋を失ったという事が結構大きい気がする。
人が人を見る時人を好きになる時部屋というのはかなり大きな要素で、部屋の居心地がセンスがその人を表していると言っても過言ではない。
一人暮らし時代それほど人を招き入れる人間ではなかったけどたまにバンドのメンバーや女性を招くとき部屋は汚かったけど漫画やCDを褒められるのは誇らしかったし、良し悪しとはまた別に好き嫌いがあるものってのはいつだってその人を示すものになり得るということだ。
部屋に限らず声でも体臭でも寿司を食べる順番でも。
その一つの要素である部屋を失ってなんだか自己表現の一つの手段を失った喪失感に苛まれている

つまり自分を磨くとかってのは自分の結局趣味嗜好のベクトルをポップな方に向けるってことで良し悪しではないよね!
ってことである。

でもさすがに痩せなきゃと思うのでちょっと小さいサイズの洋服を買った。痩せないと着られない。
デブ専のみなさん申し訳ない。僕はポップな方に方向転換するよ。

追伸
顔や服や声は二人結ばれたとしてもシェアすることはないけど(厳密に言えば似てくるという話もあるけど)部屋に関しては同棲を始めたらいきなり100%シェアしなきゃいけない部分になる。そう思うとかなり好きな人を生涯を共にする人を選ぶ時シビアに見なきゃいけない部分なのかもしれない。好きな部屋、好きな家具。