スポッチャ幸福ロンダリング

「不幸は半分こ、幸せは2倍」が人間関係だとするならば僕の人間関係はそのほとんどが不幸のための側面しかない。

半分こにされた不幸だけが身の回りにゴロゴロ転がっていて幸福の倍加は誰とも出来ていない。

僕に不幸を分けてくれた人たちもきっとどこかで幸福の倍加をしていて、僕だけがただでさえ少ない幸福を 1倍の1分の1の幸福をしがんでいる。

幸福の運用ができてないばかりに夜毎行われる決算報告は赤字。

友達がいない。ずっと人に会っていない。

要するに近くに友達がいない。

 

そもそも、幸福と不幸を抱えている時幸せな話は近くの人と分け合うべきだし、不幸な話は遠くの害が及ばないとこに放り投げたいと思うだろう。僕もそう思う。そのほうが利口だと思う。正直遠くの人の幸せな話を聞いたところで「知るか」って思う。

 

本当は全然行きたくないけどスポッチャ行きたい。

概念としてのスポッチャ。スポッチャのような所。

僕の中の幸福の象徴がスポッチャになっている。

スポッチャ行きたい