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花見

田舎の電車は乗る人が少ない。乗る人が少ないから車輌も少ない。見る人が少ないから広告も少ない。

すると都市部の電車に比べ、ぐっと情報量が少ない。情報量が少ない状態を寂しく感じてしまうのだがこれがきっと若さなのだろう。なんとなく情報量の多い視界を情報量の多い音楽を情報量の多い味覚を欲してしまう。それは精神に雑音の多い若輩がそれらから耳を塞ぐ為であり、歳をとれば心は澄みその必要もなくなるのではないだろうか。

などと考えていた。

 

 

前の大学の友人と二人で郡山で花見をした。昨日までの予報では雷雨だとsiriが告げていたが、当日郡山についてみたら分厚い雲と青空がマーブル模様を描いていたが少なくとも雷雨ではなかった。

 

友人は四年間教育学部で学び、その事を一切生かさない北海道の職場に就職した女性である。

変化を嫌い現状を愛し人付き合いもそこそこにこなし多少うまくいってないことに焦ることもなく24歳にして孔子のいうところの不惑の域に達しているような人だ。
この「変化を嫌う」と「現状を愛す」のどちらかが逆の方向を向いていて苦しい思いをしている人が多い気がする。

変化を愛し現状を愛してる人、変化を嫌い現状も嫌っている人どちらも思い当たるひとがちらほら居る。しかし逆も反対も苦しかろうが対偶である「変化を愛し現状を嫌っている人」はそうではないのだろう。

 

花見に行く前にパンケーキ屋さんに行った。インスタ映えインスタ映えときゃいきゃい言いながらメニューを選んでいたが食欲に忠実に頼んだ僕の選んだ焼きリンゴと紅茶パンケーキはどこか茶色成分が多く、友人の頼んだココナッツクリームのパンケーキは清貧といった感じだった。インスタ映えというよりはおばあちゃんを思い出す感じですこし笑った。

 

北風がびゅうびゅう吹き荒ぶ公園で必死でチータラとビーフジャーキーを抑えながら飲んだハイボールはいたく体を冷やしたし酒を飲んだ時特有の筋が痛くなる感じを加速させた。しかしそれは桜たちも同じであり、桜とて朗らかな陽気のみを生きているわけではないだろう。桜の病める時も健やかなる時も雨の日も風の日も共にする事でより桜と心を通わせることができるのではないだろうか。