いなかはふべんでさびしい

田舎は不便で寂しい

田舎に住むのにはお金がかかる。田舎にいると必要とされにくい。需要も供給も少ない。だから何もない。

新しいものが入って来ない。今頃ドラマ咲がやってる。僕らが享受する時にはみんな飽きてる。服もそう。王様のブランチを見る目が違う。いきたい店を探すのではなく「こういう店があるのか」と動物園を見る感じで見ている。

ライブが行われない。応援できないし、応援されない。

福島はパチンコ屋のCMが多い。てかほとんどパチンコ屋だ。茨城で東京でパチンコ屋のCMなんか一度も見たことない。新台入れ換え?知らんわ。

都会の人は冷たいとかいうけど、よそ者と若者には田舎の方が冷たい。

福島で誇れるものがない。正直福島に生まれたことがかなりコンプレックスだ。ポケストップも少ない。しんどい。友達や恋人を福島に呼びたいと思えない。呼んだところで行くところなんてない。あったら教えて欲しい。城?森?んなもんどこでもある。

福島のいいところは地震の時の初動が早かったことくらいだと思う。初動が早かったおかげで立派に被害者ヅラできている。ありがとうサンボマスター。いつまでも被害者として頑張ってくれ福島。

ブックオフもラーメン屋も服屋も靴屋もなくなってなーにが残るんでしょうね。

福島の気持ち悪いところあげたら止まらない。

いつかノーベル賞とか芥川賞直木賞を取ったらきっと福島の新聞社に聞かれるだろう。

「福島の風土で培われたものはありますか?」

そのとき僕は「何もないです。強いて言えば強烈な劣等感くらいです」って言おうと思う。本なんて書かないけど

何かの間違いで福島市長の目に触れたりしないかなこのブログ。教えて欲しい福島のいいところを。好きになれるものならなりたいよ僕だって。福島にしかないものって何なのよ。

 

「藤本のブログはだめだよーダメ」って言われてしまった。入り口は小説っぽいのに途中からダメになるらしい。日記だもん。

日記を書く

 

今日は二限から五限だった。

朝起きたら道が雪でカチカチだったので自転車諦めて母に送ってもらった。ずっと自転車乗れてない。それくらいしか運動の機会がない僕にはゆゆしき事態である。また太ってしまう。

風邪をひいてる。なのに昨晩の夕飯はステーキだった。ちょっと発想が体育会すぎる。野菜が食べたい。

マスクが好きじゃない。息苦しいしマスクの匂いが好きじゃない。口が臭いのかもしれない。でも洟水でてても口開いてても気にしなくていいのは楽かもしれない。

昼は母におにぎりを持たされていたがどん兵衛カルボナーラ味を食べた。風邪でもうとにかく冷たいおにぎりだけは食べたくなかった。本当にお金がなかったからTポイントでどん兵衛買った。野菜が食べたい。

風邪でぼーっとして授業ほとんど覚えてない。社会心理学は面白かった。

帰り道母親とかつやに来た。かつやは好きだけど今は野菜が食べたい。

平日のこの時間はしまむらで買ったみたいなパーカーをきた30代くらいのおじさん二人とと、作業服を着たおじいちゃんが何人か居た。辛気臭い。一人でいるときはこの辛気臭さも好きなのだが母親と来ると微妙だ。

かつやは、世の中のお店が女性客のニーズを考えメニューや内装を凝っている中、女性客のニーズを一切無視することで現在のセールスにつないだらしい。なるほどねぇ。そういうこともあるよねぇ。

 

昨日食べたなか卯不味かったなぁ。不味かったし高かった。こんなに高かったっけ。

何もいいことないなぁ最近。悪いこともとりわけないのだけれど。

小さな悪いこと三つぶつけてもいいからいい事一つ欲しい。お願いしますよ。

Dead or Management

福島に帰って来てからというもののゲームしすぎである。プライベートの時間をほぼ全てと言っていいくらいゲームに捧げている。

おもに元ヤクザになって歌舞伎町で暴れるゲーム「龍が如く」か、先日述べたコロシアイをする学生のゲーム「ダンガンロンパ」か、南の島の総督になって国を作るゲーム「トロピコ」か、刑務所の所長になって囚人を公正させるゲーム「プリズンアーキテクト」をやっている。

殺すか管理するかだ。デッド オア マネジメント。

福島には娯楽がないからだろうか。いやいや茨城でも大して外には出てなかったろう。そうだ。テレビが面白くないのだ福島は。それと同時に今の間取りが居心地が良すぎるのだろう。これはこれで考えものだ。もっとこう、創作意欲の湧く部屋をだな。

月末MV撮影があるから痩せなきゃとは思っているのだがソファから抜け出せない。ハードオフで2000円で買ったソファにこんなにも囚われてしまうとは。呪われているんだきっと。

 

 

パンテーンが変わってしまった。

クスリみたいな匂いがする。僕はこれ苦手だ。

人は慣れ親しんだものが変わった時それがどんなに議論に尽くされ改良されたものでも拒絶反応を起こしがちである。例えばTwitterのUIだとかスマホのOSだとか。変わったことに違和感を感じむかむかしても結局は慣れていくのだ。

彼女がいきなりショートにして来た。みたいなもんだ。なんだかんだショートも可愛い。

ただこのパンテーンの匂いに関しては。前の例えを使うならば「彼女が坊主にしてきた」みたいなもんだ。もはや怖い。なにがあったの?

新しいシャンプーにしようと思う。オススメあったら教えてください。

 

理系はカタカナ語の最後を伸ばさない。

スタビライザーではなくスタビライザ

シリンダーではなくシリンダ

ツイッターではなくツイッタ

つまりローラーはローラなのだ。

皆さんもちょっと理系ぶりたい時があったら是非。

アームチェアディティクティヴ

推理小説の世界で探偵が現場を訪れず椅子に座ったまま助手等の話を聴くだけで事件を解決することを「アームチェアディティクティヴ(安楽椅子探偵)」といいます。

 

最近ダンガンロンパってゲームをやってるんだけど昨晩やっとクリアした。12時になって最終章を初めて気づいたら午前5時だった。おかげでいま寝坊&遅刻してる。

 


シリーズ一作目から発売日に買ってやってるくらいファンで。感想を書くにはネタバレを避けて通れない内容だったためここでは多くを語れないのだけど

最近話題の「よく行くカフェで"いつもありがとうございます"って言われた時の不快感」を味わってしまった。つまりダンガンロンパらしく非常にアンフェアで良かった。

早くクリアした人と話し合いたい。

まだやってない人にはやってほしい。でも1.2.やってないとわからないからちゃんとやってね。

 

推理モノにおいて僕が思う最高の犯罪は古畑任三郎藤原竜也石坂浩二の回だ。僕は古畑任三郎シリーズが大好きで冒頭を見ただけで内容を大体思い出すことができる。俗にいう古畑イントロドン。

二時間ドラマだとか推理モノを本気で証拠とアリバイから犯人を導き出そうとして見てる人ってどの位いるのだろう。ほとんどいないんだろうな。ダンガンロンパだって裁判を通して一つづつ質問に答えていけば自然とクロが分かる。

日本人は謎が好きだなぁ。謎が好きなんじゃなくて謎が解けて行く様が好きなのか。

欧米ではマジックを見るとき騙される感じを楽しむらしい。「えー?なんでー?!」の方にリアクションが行くのは日本人特有なんだってさ。騙され慣れてないな日本人。

 

コンディショナー変えたら頭から他人の匂いがする。ソワソワする。

よろしくお願いしますの街

「よろしくお願いします。」ってどういう意味なんだろう。

僕は人生でよろしくお願いします。っておそらく1万回くらい言ってきた。多分皆さんもそうだと思う。でもこの意味や概念を説明できる人は少ないんじゃないかと思う。

僕も説明できない。

 

意味わからないけど僕は使ってきたし、多分これからも使って行くと思う。

何に使うかわからないけどいつ使うかは解る。

どういう効果があるかわからないけど誰に使うかは解る。不思議だなぁ。

 

スマートフォンの使い方は解るけどなぜ文字を打ち込めるかは分からない。もちろんセンサーがあってプログラムが作用して文字を表示していることくらいはわかる。しかし無人島で全ての材料を与えられたとしてもスマートフォンは作れない。それは分からないのと同じだ。

例えば無人島で、この場合は社会を与えられて「よろしくお願いします」に当たる言葉は生まれるだろうか。

 

 

 

軽蔑は呪い

同じ映画を二度観たことない。(DVDとかでは観る)

小説も漫画も読み返すということはあまりしない。

ゲームもクリアしたらやらない。

なんでかわからないけど

小説とかわからないことが残ることもあるけどまぁ分からなかったことは分からないままでいいのだ

先月買った森見登美彦の「夜行」を今やっと読んだんだけど面白かった。

分からなかったことも多いけど、それはそれでいいのだ。だめ?ごめん。

 

僕は人をよく軽蔑する。

けどこれあんまり良くないなって思うようになってきた。それは人の為にではなく自分のために。

例えば 売れてないのに僕はよく歳をとって音楽を続けてる人を馬鹿にする。バーカって思う。けど自分がそれになる可能性もあるのだ。

例えばボロボロの服を着てる人とか、空気が読めないひととか。軽蔑する。でも自分がいつそれになってるかもしれないし、社会的正義が変わってそれが正解になる日が来るかもしれないし。

軽蔑は自分自身にかける呪いなのだ。

自分の正義とセーフゾーンを狭めるだけの呪いなのだ。

 

あーでもやめられない。軽蔑。

丸くなってしまったのかもしれない。才能が鈍るのが怖い。

人を軽蔑するのは美学でもある。

自分の正義とセーフゾーンを狭めることは自分の生き様だとか美学を研ぐことに繋がると思う。

書きたいことがまとまらない。

まだ若いしもうしばらく歳とってもみっともなく音楽やってる奴を軽蔑しておこう。

ある日突然そんな過去なかったかのように振舞っても許してほしい。

呪いと向き合ったのだ。

そんなことしなくていいように歳とる前に売れよう。

売れたい。

 

人粉

めっちゃお腹痛くてちょっとゲボ吐いたのでバイト休んだ。

わりと夜になったら平気だった。カジュアルな服痛だった。すみませんでした。

これは流行りの胃腸炎なのでは、ノロウィルスなのでは、と思ったがそうではなかった。カップラーメンに入れてみた魚粉パウダーがゲキ不味だったのだがそれのせいかもしれない。

ラーメンが美味しくなるって言ったから入れたのに僕のプレシャスなラ王味噌はまずい魚粉の味になった。そもそも味噌に魚粉は合わない。

魚粉ってなんたよ。人も粉になるのだろうか。

そういえば父の車に乗ったら骨壷くらいの箱があるなぁと思ったら本当に骨壷だった。あんまり会わなかったほうのおばあちゃんだった。ギョッとした。

どうやらペンダント作って残りは地元長崎の海に撒くらしい。(人知れず僕は被爆者三世なのだ。この話はこんどする。)

死んだ後の事は割とどうでもいい。山に捨てても良いし、犬に食われてもまぁいい。

お葬式もどうでもいい。遺影に唾吐かれても別にいい。ただその分死ぬ直前までは愛想笑いしていて欲しい。

悪口は死んでから言ってくれ。

注意する時は10個いいとこ言ってから1注意してくれ。

陰口は分からないように言ってくれ。

 

 

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ゲボ吐いた後この漫画を読んだ。面白かった。

作者、めっちゃ、生き辛そうだなって思った

 

あと恋のツキの2巻もよかった

ここで終わればいいのにって思った。

 

あと僕たちがやりました。の新刊も良かった。

これもここで終わって欲しいと思った。

 

惡の華も神社で焼身自殺しようとするとこで終わればいいのにって思った。

連載漫画といふものは盛り上がって終わるということを許されないのだろう。変な芸術だ。

音楽で言えば落ちサビしてラスサビして一音転調してまだ盛り上げろと言われるようなもんだ。音楽で言うべきじゃなかった。

全く難儀なコンテンツである。

 

 

変な話をする。

男女はセックスをすることがある。僕もした事がある。

こう、セックスをするというのはまぁ、こう、羞恥の極致であって、もうこれ以上失うものなどないわと言った感じがする。する?僕はそう思う。

人と生活上で、たとえばオナラとか着替えとかいびきとか匂いとかそう言った羞恥案件に関して僕はめっちゃ気を使う気質で、それは男女関係なく感じてしまう。

そこで一度セックスをするとそう言った羞恥が全部無くなる。全部ではないけどまあ大体越える。そう言った経験が何度かある。

僕だって出来るだけ人といる時緊張なんかしたくないし人と居られるようになりたいとは思う。しかし男性とはセックス出来ない訳である。その点で男性といると羞恥が無くならないというか薄い壁があるというか。人間らしく在ろうと思ってしまう。いや、もちろん女性にはもっと壁を感じるけど。

男性といる時なんのためらいもなくオナラされても別に不快感はないのだ。自分でしたくないだけなのだ。同様の理由で銭湯とかもあんまり好きじゃない。

あ、一人なら銭湯行ける。

やっぱこう友達の前では人間人間して居たいのだと思う。

いや、これは悲観でも批判でもなくて自己分析。

セックスをした事ある人もした事ない人も男性も女性も皆さん好きです。本当です。

なんか変な感じになった。

変な話をすると言ったからまぁ許して欲しい。

これはただの変な話なのだ。

 

雲丹

私は映画館でチケットを売るバイトをしているのだけど、近々チケット販売が自動券売機になるかもしれないらしい。

僕もチケットは自動券売機の方が楽だし食券好きだし人の心がだの云々言ったりはしない。し、まぁ自動券売機になっても人の手は必要だろうしシフトが減ることはあってもまるっきりなくなるわけではないだろうなとは思う。

 

ただまぁなんというか寂しい気持ちはあるますね。

チャーリーとチョコレート工場の主人公のお父さんは歯磨き粉のキャップを締める仕事をしているのだけど自動化に伴い職を失ってしまうのよね。

最後どうなるんだっけ、キャップを締める機械を作る人になるんだっけ。見る人になるんだっけ。

 

 

東京マグニチュード8.0というアニメを一気見した。スカイツリーは立ってるけどみんなガラケーだ。何年だろう

 

キツいアニメだった。

中1のお姉ちゃんと小3の弟が二人でお台場のロボット展を見にお台場に行く。そこで大地震が発生して支えてくれる人の手を借りながら家を目指すってはなしなんだけど

弟が見たがっていたレインボーブリッジが、おうちから見える東京タワーを心の支えにしてたのにそれがガンガン壊れてって絶望って感じが見ててキツかった。

一応僕は福島市民として震災を経験した身で色々思い出すことがないでもないけど。

それにしても僕は東日本大震災、ワクワクしてた記憶しかないなぁ。辛かったのかもしれないけど心の表面はワクワクがメインだった。

不謹慎極まりない。僕も知り合いも怪我をしてないからこんなこと言えるのだけど、そのワクワクすらもストレスに対する反応だったのかもしれないけど。

学校で心理を学ぶ過程でストレス反応とかやるけど、まだまだ何も分からないけど、どんどん自分の感情に客観的になっていく気がする。

いやはや、詩人として此は如何にである。

話が行ったり来たりした。

長い文章書くのがほんとうに苦手だなぁ。

ほんとウニウニ

 

藤本はタワーディフェンスゲームが得意だ。

タワーディフェンスゲームとは大体敵が攻めてくる道中に砲台やら罠やらを置いて拠点を守るという物である。

得意であるが故 大好きである。

(こんなかんじの)

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TDのコツとしては、ルートを変更出来るなら敵を一箇所に集めて殺す

拠点近くではなく敵の道の序盤に砲台を置くといった物だ。

一つ目はその方が効率がいいから、二つ目はみんな死んで少数しか通らないゴール付近よりより多くの敵が通る序盤に罠を仕掛けるのだ。

つまり何が言いたいって別に何も言いたくはない。ただ僕から皆さんへのタワーディフェンスゲームの指南だ。

なんだか日常生活でも活きそうだろう?

でもこれが活きないのだ。

 

問題から答えを導くのは易いが、その逆はそうではないのだ。