恋was lie

今日は授業に出た後玉置浩二のライブを観に行った。今は見た直後である。良かった。

玉置浩二デカかった。身長もだしガタイが良かった。

青田典子探したけどいなかった。

 

一番感動したのは最後メンバー紹介をする時。

玉置浩二含め七人編成のバンドだったのだが、曲のアウトロでメンバー紹介があり、キーボード、チェロ、ギターと一人ずつお辞儀をしてったのだけど一人が演奏を止めても曲として成立していた感じがした。まるでオケを流して当て弾きしてるんじゃないかって感じで「欠けた感じ」がしなかった。役割を分けるだけでなくああやってカバーし合って行くのもまたバンドなのだなぁとおもって感動した。パーカッションが居なくなっても全然寂しくなかった。驚いた。

 

最近絵を練習している。前ブログに書いた。暇の質を高めたいのだ。紙とペンだけで無限に遊べる。素敵じゃないか。

決して上手くは無いがすこし思い通りにかけるようになってきて楽しい。

 

金曜日だからサーティワン食べた。アイアムSOFT BANKユーザー。

トゥインクルツリーってピスタチオ味のやつ食べた。美味しかった。無料で申し訳ない。追加でお金払ってダブルとかに出来ないかと聞いたけど有無を言わせずシングルコーンだった。

吉野家ではサラダをつけたりしてたけどサーティワンだとそう行かない。仕方ないくれると言うのならもらっておこう。

 

あっ

バイビデオ新曲上げたんだった。聴いてね。

【MV】 was lie / yobai video

【MV】was lie / yobai video - YouTube

 

一目惚れの曲です。

僕はスローモーションみたいな歌が好きで。

物語のように駆け抜けて行く曲も素敵なんだけと。一瞬の経験をグワーンと引き伸ばしたみたいな。スローモーションになって服の皺や髪のなびき、些細な瞳の動きなんかが観察できてしまうような曲が好きだ。

僕はあんまりそう言うことはしなかったんだけどしてみようと思ってやったのがこの曲です。

ハロウィンの渋谷でつまらなそうに私服(もしくは制服?)で歩く女の子に一目惚れしてしまうみたいなそんな経験。いいよね。

皆さん同じ形の素敵を、誰かに教えてもらった素敵誰かに教えたい素敵を追い求めてらっしゃいますけど、僕はもっと素敵な素敵を知ってしまいましたよ。シェアなんてしないし教えてよあげませんよーって。

 

was lie、恋was lie

は「恋患い」で

「恋は/嘘だった」って悲観的にも取れるし

「恋は嘘/だった」ってウルトラ希望的にも取れるし。

そんな感じで。

 

一目惚れは英語で「love at first  sight」

そうですファーストサイトです。

 

yobai videoのファーストアルバム

「first  sight」

よろしくねサンクラでも無料でDLできるよ

 

sound cloud

http://soundcloud.com/makifujiphone/

 

特設サイト

http://fujiphone575.wixsite.com/fujiphone/yoba

 

 

辞今日の句

寝るというのは今日という日を終わらせる行為であって、それはある種小さな死なのではと思う。

毎日毎日その1日に未練があって寝られない。何がやりたいとか明確に思いつくわけではないけど、何となく未練がある。今日を終わりにできない。

人と会った後とかぐっすり眠れるのは今日という日を完遂した実感を感じるから何だと思う。

多分死ぬときはもっと未練があるんだろう。

死にたくないなぁ。

でも早く寝たいなぁ

 

辞世の句ならぬ「辞今日の句」でも詠むべきか。

 

暇.jpg

最近バイト先がまぁまぁ暇だ。バイトと言うのも僕は地方の映画館でバイトをしている。見つかったら怒られてしまうかもしれないがまぁまぁ暇だ。俗に言う閑散期だ。 実は業界としては9月くらいから閑散期のはずなのだがあいつのおかげでここまでお客さんがひっきりなしだったのだ。そう「君の名は。」のおかげで。

ここまで大変だった「君の名は。」初めは学生が観に来るだけだったのだが最近では噂を聞きつけてかご老人がよく観に来る。ありがたい。僕も老若男女誰が見ても面白い作品だと思う。ただ一つ大変なのが勘違い。

 

現在うちの劇場では「君の名は。」と「聲の形」と「四月は君の嘘」が上映している。これがごっちゃになるのだ。四月は…は実写だけど全て学生モノでアニメだしまあ仕方ないと思う。返品が多い「君の名は。観に来たんですけど聲の形でした!」とか。まぁこれはいい、下手したら君の名は。を見にきて聲の形を見て気づかず帰ってる人もいるかもしれない。クラスで流行りの君の名は。を観に行ったのにみんなと感想が違う。耳が聞こえない少女が田舎に住んでて天才バイオリニストかもしれない。ごっちゃだ。それも面白いかもしれない。

まぁそれはいい。ひどいのご年配の方のシャッフルだ。「君の聲」「聲の名は。」「四月は君の聲」等結構来る。心配である。

こないだは「蟹(カニ)の名は。」を観に来た人がいた。アカデミックな映画なんだと思う。

 

余談だけど映画館でチケット買う時「なんだっけ?」って言う人が結構いる。五人に一人くらいは言う。何なんだろ。自分が見に来た映画のタイトル忘れることってあるのかな。共感し得ないけどこれだけ多いって事はあんまり意識してないのかな。イタリアン食べに来た時何食べ来たっけって言うかな。言わないよなーー

 

あと席を決める時「めっちゃ空いてるじゃん!」っていう人。

席が空いてて嬉しい気持ちはわかるんだけど、店員の前で言う事じゃなく無い?とは思う。人の少ないコンビニに入って「うわ!めっちゃ客いねーじゃん!」とか言うのヤクザでしか無い。

ヤクザかよ!!

そういった気遣いできない人は目に虫が入ってしまえ。

まぁお客さん入っても入らなくても僕の時給は変わらないけど。

 

 

こういうの絵付きでツイートしたらバズったりするのかしら。

僕は絵が描けない。描けないけど絵かきしりとりでみなの爆笑をさらえるほど面白く絵が描けない訳では無い。

昔は絵かきしりとりで少しは笑ってもらおうと少し下手に書いたりもしてたがもう諦めた。

作られた天然芸は罪悪感が残る。

僕はしりとりは絶対しない事にしている。しりとりしない縛りで生きている。今の所困った事は無い。し、しりとりはつまらないのでそれでいいと思う。

絵が描けたらいいなぁ。ヒマな時間紙とペンです無限に楽しめる。久米田康治の「かくしごと」を読んでそう思った。暇の質が違う。絵が描けたい

 

蕎麦とアレルギー

映画聲の形を見た。面白かった。少し泣いた。感想は書かない。

歳をとると涙腺が弱くなるとはよく言うけど本当にそうなってきた。昔は何を読んでも何を見ても泣く事はなかった。私が弱くなったのではない昔の涙腺が強かったのだ。しかし最近わりとすぐ涙がでる。シンゴジラでも少し泣いた「ゴジラ効いてる!まだ日本やっていける!」って思って少し涙出た。ああでも、映画以外ではあんまり泣かないなぁ。

「歳をとる→涙腺が緩くなる」に関して、感受性が豊かになってるのだろうかとか思うけど、なんだったら昔の方が色々感じてた気がする。

人の痛みが分かるようになったのだろうか。いや別に痛みに同情して泣いてるとかではない。感激して泣いてる。

まぁ歳をとると色々緩くなるんだろう。心も身体も。

 

寒くなってきたけど蕎麦が食べたい。そば屋さんってものが近くにあまりない。東北の文化じゃないのかも。そんな事はない?

小学校の頃学校総ぐるみでソバを育てていた。畑で。他の学校のみんなが芋掘りしてる時僕らはソバを刈って蕎麦の実(実?)をぷちぷちしていた。

今覚えば僕の学校にソバアレルギーの人はいなかったのだろうか、田舎育ちにはソバアレルギーなんて無縁なのだろうか。恥ずかしい。ソバアレルギーでないことが恥ずかしい。

じきにソバを食べてるだけで馬鹿にされる時代が来るかもしれない。田舎の育ちだと。

いや、でも、ソバ食べたい。

 

 

聞く耳

特技というものがほとんどなく、履歴書を書く時いつもなんで書いたらいいのか悩む。

ただひとつ高校の時くらいから「人の話を聞く事が少しだけ上手い」事を自覚していて。割とここまでの人生、人の話聞く事でなんとかやってきたみたいなとこあるしそれを食い物にして行こうと思ってるくらいである。

ただ人の話を聞く事が上手くなると同時に自分の話をする事がどんどん苦手になって行って。自分の話の聞かれ方が気になってあんまり自分の事話さなくなった。

別にそんなに悲観してないし、話す側の人がいれば聞く側の人が居るくらいにしか思ってない。ただ聞く役をやってると周りには話す役の人が自然と集まってくる。自分の話をしていても気づいたら相手の話になってる事がしばしばある。つまらない話でも楽しそうに聞けてしまうし、興味ない話でも興味あるように聞かないと失礼だと思ってしまう。から聞く。楽しそうに。

 

その中で長い付き合いをしてる人って言うのは僕が無限に楽しく聞ける話をしてくれる人か、僕と同じくらい話を聞くのが上手い人なんだなぁって気づいた。

 

こんな事を書くと誰も僕とお話ししてくれなくなってしまう。楽しく聞くスキルもこんな話の前では偽物に写ってしまうかもしれない。決してそんな事は無いのだ人の話を聞くのは楽しいのだ。ただ僕が少し機嫌がわるい時とか正解の返事を敢えてしなかった時も優しくして欲しい。そんな事をされると僕に求められてる物が「話を聞く事」ではなく「気持ちいい返事をする事」なんだって思ってしまう。

いやそうなのかもしれないけど。

 

聞くのが上手いのではない。

話すのが下手なだけだ。

 

話を聞くのが得意なのかもって思ってたけど、エロゲの選択肢の要領であれば話を聞くのが本当に上手い人はそこから相手に好かれたり説得したり攻めに転じる事が出来てこそなのでは無いだろうか。

僕はただ相手に気持ちのいい返事をしてサンドバッグになってるだけなのかもしれない。

悲しくなってきた。

特技なんて高尚なものでは無いのだ、これは。

人の話聞くの疲れた。

 

と、この先ほど旨を誰かに話そうと思った。

僕にも話したい事があるのサと。

ただ気づくと僕の周りには「話す側の人」しかいなくて。「話す側の人」にこんな話をしたら、「今までの相槌はなんだったのか、私を喜ばせるために適当やってたのか、くたばれ」と言われてしまうかもしれない。この記事を読んでる方にもそう思った方は居るかもしれない決してそんな事は無い。ただ僕が勝手に話す相手をえり好みしてるだけなのだ。甘んじてくたばろうと思います。

ただいざ話しても分かってしまう訳だ、僕の話に興味がない感じが。実際僕の話が面白くのは仕方ないけど、僕に興味がないのだ。

 

誰の目を見ても言えない事はこうしてどこでも無い方向に投げるに限る。どこでも無い体でありながらどこでもある方向に。

 

 

恋する女はクソバカ

恋人ができて頭の中がそいつでいっぱいになってしまう人をみるとホント馬鹿だなと思う。

 

人は向上心を失うと終わる。

彼氏ができて満たされてしまい創作を辞めてしまう人をたくさん見てきた。

彼氏ができてしまった途端かっこよさを失ってしまう人をたくさん見てきた。

惚気話がムカつくとかそれ以前にその彼氏で満足なのかい?人生のゴールはそこなのかい?とおもってしまう。

今が人生の最高地点だなんておもってしまったらその人の推進力が失われてしまう。

浮気しろ浮気したい乗り替えろだの言ってるわけではなくて、現状に溺れたら未来はないのにって思う。

 

浮気は絶対ダメだけどかっこよくあろうぜ。

 

かっこよくない幸せと

かっこいい不幸と苦悩

どっちがいいのか。

「主催さん今日は呼んでくれてありがとう」ってステージで言うバンドマンが嫌い

ライブ中に「主催の○○さん!今日は呼んでくれてありがとう!」っていうバンドマンが本当に嫌い。
主催のところはイベンターでもライブハウスの人でもブッキングの人でもなんでもいいんだけど。

エンターテイメントをする人間として主催に与えられた30分はお客さんと演者の相互の関係の中で最高のショーをする事が課せられた使命だと思っているのですが、その中に他人への感謝って必要なんですかね?
例えばパフォーマンス上で「人に感謝をする姿勢が素敵」というキャラを作り上げたいならやってもいいと思うんですよ。
ただ本当に主催への感謝の気持ちを伝えたいのなら人が見てないところでするべきだし、わざわざ人前でやるのってわざとらしいしそこに本当に感謝があるのかな?って疑われても仕方ない行為だし、第一30分のショーに他人への感謝は必要ない。

ライブ中に主催に感謝するのをコンビニで例えると
レジ打ち中に「品出しの齋藤さん、清掃の寺田さん、そして店長!いつもありがとうございます!お客さん!彼らのおかげでお客さんは気持ちよく買い物ができています!はい!感謝して!」
って言われることと同じなんですよ。
もちろん感謝は大切だけどお客さんの目的は商品の対価を支払って素早くレジ打ちしてもらうことでそこに他人への感謝の強要って無駄なんですよ。

主催とかしてる人はどうなんですかね。そういうバンドマンこそもっと誘いたい!ライブ中に感謝してくれ!また呼ぶよ!
って思うんですかね。イベンターがそういう生き物なのだとしたらそのバンドが有名になるための税金だと思って我慢するけど。
僕は人前ではなくステージの下で言いますけどね。